0019/12/29

C73

さて、コミックマーケット73が開幕しました。
今回はMEET INVADEもサークルとして参加するということで、ご来場の皆さまはぜひブースの方に立ち寄っていただけると嬉しいです。「12月31日 西地区“み”ブロック-08a」です。「Return to Farland」と「Forgotten Saga」を販売しますよ。

ちなみに、私・諏訪部はこのイベントに行ったことがありません。なので、一体どういうものなのかもさっぱりわかりません。ブースで挙動不審な動きをしていても、あたたかい目で見守ってください。

よろしくお願いします!

0019/12/24

Santa claus is comin to town

クリスマス。
年末になると世の中がやたら忙しくなります。どうせ一週間も休めばいつもどおりに戻るのだから、そんなに慌てるなよと思うのですが、なにかが終わってしまうという感覚が、みんなの背中を押しているようです。例外にもれず、あっという間に年の瀬がせまってきたように思います。今年は冬将軍もこたつでみかんなのかと思うくらい暖秋に暖冬だったので、なかなか冬の実感というのはなかったのですが、ここ最近急に絞りだすような寒さです。寒い夜にひとひらの雪がふってきて、ふと脚をとめるような寒さ。

いろんな種類の暖かさというのが世の中にはあります。去年のクリスマスのとき、子供の頃の思い出を書きました。一般的な家庭だったけれど、熱心な親のおかげで、今思うととても幸せな時間を過ごさせてもらっていたわけです。親がサンタクロースを存在させてくれたことに大人になった今、感謝の気持ちでいっぱいです。口にはできませんけどね。

世の中には多くの冷たさもあります。身を切るような苦しいことも、心が荒むような憤りも確かに存在します。それでも、最後のところで人間としての心を忘れないでいられるのは、その昔、枕もとにやってきたサンタクロースがくれた暖かさのおかげなのかもしれません。
メリークリスマス。

youd better watch out
Youd better not cry
Better not pout
Im telling you why……

0019/12/04

良三とあらいとタバコ

私事ですが、不覚にも風邪をひいてしまいました。のどが痛く、なかなか治りません。
ということで、今回のテーマは「ゲームと病気」です(笑)。

通常、RPGにおいてキャラクターは病気になりません。宿屋に泊まった次の日に「やべぇ、俺、風邪ひいたから今日はここで休んでるわ」と、いうメッセージとともにパーティーキャラが離脱することはありません(あってたまるか)。しかし、RPGの王道シナリオとして、誰かが病気になり「○○に薬を取りに行く」だとか、「○○の呪いなので、XXを倒しに行く」などといったことは多々あります。たいていの場合、「病気を治すには○○が必要なんじゃ!」という具体的なことがわかっているにもかかわらず、誰も行かないというヘタレな状況に直面するわけですけれど。

そんな病気イベント。衝撃的で今でも思い出に残っているものは「FINAL FANTASY6」における、世界崩壊後のシドでした。世界が崩壊したあと、セリスとシドは孤島にとり残されてしまいます。ここでシドに魚を捕って食べさせるというイベントが発生するのですが、このとき、魚には実は種類があって、常に"うまい魚"を捕まえてシドに持っていってあげるとシドが死亡しないで済む、という意味不明な分岐がありました。
セリスがわざわざ捕ってきてくれた魚。たとえそれが"まずい魚"だったとしても、シドは「このあらいを作ったのは誰だぁ!!」と海原雄山にはなれません。きっと「おいしい」と言って食べていたはずです。そして、その挙句に死亡。死亡の果てに絶望したセリスは崖から身投げ。
超絶悲惨です。

これは極端な例かもしれませんが、ストーリー(キャラクター)の設定までもが変化してしまう分岐。こういうダイナミックな展開は、Forgotten Saga製作の初期段階で議論されました。
Return to Farlandはご存知の通り、ストーリーは本当に一本道であるのですが、その次の作品であるForgotten Sagaは、自由度を追求しようという話が出たわけです。プレイヤーの行動によって、その後の展開が変化していくという、木の枝が広がるような壮大なツリーシステムが考案されましたが、それはいくらなんでもシナリオ・製作ともに複雑になりすぎてしまうので、それはお蔵入りになりました。ただ、サブイベントとして残っているあれらは、それの名残とも言えるでしょうね。

自由度というものは、ある意味ではRPGの永遠のテーマのような気もします。ただ、分岐がたくさんあるのが「=自由度」かという疑問もあるわけで、悩みどころではありますね。そんなわけで、次回作はまたReturn to Farlandの路線に戻っています。長編製作の旅を乗り切るためにも早く風邪を治さなきゃいけませんね。

あ、ちなみにブログをBloggerに変更しました。
徐々に直していこうと思います。

0019/11/15

Xevious

紅葉真っ只中ですが、世界遺産ナスカ展に行ってきました。世界遺産を息抜きに利用するのも悪くないのです。キッズの頃の感性では物が見られなくなったのか、ただ混んでいて人に酔ったのか、入場料が高くて引いてしまったのかよくわかりませんが、昔に学研を読んでいたときのような高揚感はあまりなく、これといって売りのない現代美術館をみているような心持ちでふらふらと散策しました。
NHKのドキュメンタリーのような地上絵の紹介VTRをみてなぜかさらに酔い、変な汗をかきながら行程を終了。ナスカよりも、案内係をしていた放送局の女子アナのほうが人気があって、まぁそりゃそうかと納得。しかし地上絵のなかに「フクロウ男」なるガチャピンがいたんですが、フクロウ男ってなにかしらメジャーで、あーなるほど、フクロウ男ね、って相槌をうつような存在でしょうか。最近いろんなことがよくわからなくなります。
連綿と受け継がれる謎。だれかが適当に残したことでも、真意がみえなければ永遠の謎です。みんなで適当なことを書いておけば、未来人が混乱して面白いかもしれません。それを見ることはできないけれど。
なぜ、それがあるのか? とても難しい命題です。なぜ、生きているのか? 人類はまだその最初の命題すら、解答できていないのだから。

0019/11/05

SONS

横浜で開催された楽器フェアへ行ってきました。メーカーの様々な新製品が展示され、試弾もできるという楽しいイベントです。

色々と興味深いことがあったのですが、その中でもKORGのブースには、この間亡くなられたジョーザビヌル氏への追悼メッセージを書き込めるノートが置いてありました。ノートを見ると、メッセージが色々と書いてあり、やはりその存在感は大きかったのだなぁ、と感じたわけです。
で、フラフラと会場を歩いていると、スタインウェイのブースを発見。そう、Return to Farlandに登場したキャラクターの名前にもありましたね。有名なので皆さんご存じでしょうけど、ピアノメーカーです。
で、何台かピアノが置いてあったので試しに弾かせてもらいました。弾いた曲はもちろん(?)Return to Farlandのオープニング。ひとときの諏訪部ライブです(笑)。

いや~最高ですね。
でも、そのお値段は高級車が買えるくらい高くて、とてもじゃないけど手が出せない。う~む……。

担当の人と話をしていて……
「スタインウェイしか興味がないですか? こっちに、新しいタイプのがありますよ」
と、案内されたところにあったのは、どうもスタインウェイの技術を取り入れたブランドのピアノらしい(前からあったのかわかりません。私は知らなかったんですけどね)。

「これ、中国製ですけど、その分値段はお手頃になっていますよ」

……あの。営業さん。別にそんなとこ強調しなくてもいいです。カタログにも書いてないじゃないですか……。

まぁ、とりあえず。
これが置ける環境を確保しなければ話になりませんね。あと、ちゃんと弾ける技術も必要ですね。

という、黄金体験でした。

0019/08/27

続・戦隊

残暑が厳しいんで、ぼやきます。
子どもの頃って戦隊モノが好きですよね。いや大きなお友達になってからも好きだっていいですし、実際好きなのかもしれないですが、なんでしょう、よくわからない覆面の集まりで、正義のごり押しなのに、なかなかどうして頼れる存在というのは良い感じに扱われるものなんですね。
昔はそういえば、どこかの崖とか、石砂利っぽい広場で本当に巨大な敵と、覆面軍団が戦ってるんだと思ってましたね。中の人は確かに存在せず、ああいう人たちが悪と戦っているんだと思っていました。
ヒーローショーなどデパートなんかに見にいったときも、悪の軍団が現れると本気で恐怖し、ヒーローが現れると本気で喜んだ気がします。チキンだったので正義が信じられず、悪の軍団にさらわれないかずっとビクビクしてた気がしますけど。
そういう感覚が幻想なのかといえばやっぱりそうでもなく、やはりイマジネーションですか。ヒーローに限らず、たとえばミッキーマウスなんかもそうです。ディズニーランドに行くまではただの人型ネズミでも、実際のオーラをまとったミッキーを前にすると「ムゥィイッキィイイーーー!!」と恥じらいもなく手をふって叫んでしまったりします。
実情などわかっているけれど、そこに幻想を見いだし身を投じてしまうというのは、人間だけの娯楽だと思います。そして、物語にはそういうことがいえます。
先の展開などわかってもいい。わかっているけれど面白い。そういえば、Return to FarlandやForgotten Sagaではそういうのを目指していました。きっと次作でもそういうのを目指していくと思います。いや、毎日暑いですね本当に。

0019/08/17

戦隊

暑いですね。天気予報を見ていると、今年から「猛暑日」という単語を使用し始めています。どんな単語を使おうが暑いモノは暑いっつーの! と、ツッコミたくなりますが、みなさんこの連日の猛暑でツッコむ気力すら失ってしまっているんじゃないでしょうか。
さて、猛暑といえばReturn to Farlandに登場したプレコップ帝国を思い出します。火信仰の国ですので、「暑い場所」という設定なんですが(逆?)、あそこにはマルグリューセイヴァーズという戦隊がいます。今にして思えば、なんで戦隊モノをやったのかよくわかりませんが、たぶん私がノリだけで、「戦隊モノ出してよ、OK?」と言ってしまったんだと思います。でも、逆に私の方でも、「戦隊モノのテーマ曲」を作る羽目になり、それ系のCDを聴きあさって戦隊モノとは何かを真剣に研究したりもしました。研究していると、戦隊モノがいかに考えられて作られているか、そして、子どもたちに夢を与える作品であることに気づき、「戦隊モノすげえじゃん!」と認識を改めたものでした。まぁ、機会があったら次作にもそういうノリをバンバン入れていきたいですね。坂本にもよく言っておきます(笑)。
そろそろ夏も終盤でしょうか?ヒーローショーで活躍するヒーローも、ぜひ最後までがんばって乗りきってください。中の人なんていませんよ?

0019/08/13

太陽の下で、夏を齧ろう。

やはり地味に進み、地味に終わる結果になりましたが、早いもので一週間、MEET WEEK in SUMMERも無事終わりました。

祭りのあとの一抹の淋しさはまったくもってありませんが、きっとそれはまだ夏真っ只中だからでしょう。
Return to FarlandやForgotten Sagaをプレイ中、プレイ予定の皆さん、それ以外の予定が盛りだくさんの皆さんも、夏休みが印象的なものになるように、祈っております。

MEET WEEKのご意見、ご感想などありましたら、ぜひともお寄せください。
今後もMEET INVADEをよろしくお願いします。

Please Enjoy Your RESORT !!

0019/08/06

少年は荒野をめざす

「聖剣伝説2」。ご存じの方もたくさんおられると思いますが、かつてスクウェア(現スクウェア・エニックス)から発売されたアクションRPGです。ちょうど14年前の今日(8月6日)発売されました。
この作品には、ゲーム内容とは別に、今でも憶えているエピソードがあります。諏訪部の思い出なんかどうでもいいよ、バカ! と、言わず、読んでみてください(笑)。
当時、諏訪部少年はこの「聖剣伝説2」を、雑誌に掲載された写真や記事だけで、発売する前からクソゲーだと勝手に決めつけていました。前作「聖剣伝説」をやり込みまくって、あまりにそのカラーと違う印象を受けたからです。ようするに、「こんなもん、聖剣じゃないやい!うわああん!!オラの聖剣伝説を返せ~!!」という感じです(←バカそのもの)。だから、ソフトの予約もせず、ゲーム自体もノーマークだったんですよ。で、いざ発売されると、諏訪部少年の友だちがこのソフトを手に入れるわけです。「聖剣2どう?」みたいな感じで、友だちの家に遊びに行ったわけです。「どうせクソゲーだろ、ププー」と、嫌らしくね(笑)。
実際に見てみると、これ。おもしろいじゃないですか!前作と違ったカラフルな絵柄も、実はゲームと非常にマッチしているし、操作性も抜群。音楽も最高でした。それを見て、逆になんだか焦ったというのを憶えています。
予約もなし、ソフトを買うお金もなかった諏訪部少年。少年は困りました。ソフトは欲しい、いますぐ欲しい!まぁ、お金はなんとかなりました。ちょうど夏休みでしたし、実家に行くことがあれば、祖父母からお小遣いをもらうことだってありますからね。しかし、肝心のソフトが売っていないんですよ。大人気ソフトなので予約がないと買えなかったんです(当時のゲームソフトは、売り切れになると2週間~1ヶ月待ちになることが普通でした)。
夏休み。うだるような暑さのなか、少年は一本のゲームソフトを求めてチャリンコで爆走します。そして、家からちょっと離れた所にある量販店で、ついにそれを発見しました。マナの樹と、その前にたたずむ三人の少年たちが描かれたグリーンのパッケージ。それを見て、目頭が熱くなりましたが、それは汗だということにしておきましょう。
こうして、諏訪部少年の夏は、聖剣を引き抜いた少年とともに過ぎていきましたとさ。
実際に触れてみないと、本当のところはわからない。実際に体験してみないと、本当のことはわからない。何かにぶつかると、痛いけど、痛いっていうことがわかる。ぶつからなければ、痛くはないけれど、痛いということもわからない。よくある話ですよね。

0019/08/04

君がいた夏は遠い夢のなか。

あっという間に夏休みで、もう8月です。
台風が来たりで湿気も悶悶。
入道雲もモコモコです。モコッチ。

夏といえば、青い空、白い雲、まぶしい太陽、広い海に押し寄せる波。
そんな感じのイメージの人が多いのかもしれませんが、海のない在所で育つと必ずしもそれが原体験ではなかったりします。
ちょっとまえに諏訪部が書いていたりしたように、一家で海に行くイベントなどもあり、とても楽しませてもらったりもしましたが、夏のイメージはやはり、畑の広がる田舎、せみの合唱、昆虫の森、縁側でスイカ、浴衣と花火と夏祭りという感じです。(実際はそんなでもないんですけどw)
夏祭りの賑わいや、花火のあとの静けさが夏の夜の醍醐味ですね。

ところで夏祭りということで、MEET WEEK in SUMMERが始まりました。
約一週間くらい地味にじわじわと開催されていく予定です。
祭りの屋台を覗きにくる感じで、ささやかに楽しんで頂ければと思います。

0019/07/30

人生の二つの扉

人生は、時に決断をしなければならないことがあります。晩ご飯は何にしようかという些末なことから、それこそ仕事や結婚を決断するという重大なことまで様々です。
決断をしなければならない理由は多々ありますが、たいていの場合、それは時間というものが有限であるからということに起因しているのではないかと思います。与えられた時間を使いながら活動をしている私たちは、否応なしに決断を迫られることがあるものです。

ところで。
MEET INVADEの制作では、シナリオパートは坂本がすべて担当しています。逆に、それ以外の部分はすべて私が担当しています。なぜか? 当然、その方が良いものが創れると判断したからです。
Return to Farlandバージョン3に同梱されている「Return to Farland設定資料集」には、そのあたりのいきさつについて少し書かれていますが、まぁとにかく。諏訪部にはああいったシナリオを構成する力はないのですよ。「坂本、おまえ物語つくるのが得意そうだから、シナリオ書いてよ、OK?」というノリから企画がスタートしたのです(笑)。
私自身も、書くことは好きで、よく(クソな)小説を書いていたのですが、Return to Farlandの制作を始めた辺りから、腰を据えて物語を作ることは辞めました。つまり、私はそこで一つ捨てたわけです。

捨てるという言い方をすると、なんだか嫌な感じがするのは否めませんが、カッコつけた言い方をすると、現状を冷静に分析するということではないでしょうか。まぁ、捨てることで逆に手に入れることもあるからこそ、捨てるんですけど。
時間がたくさんあると、そういうことはあまり考えないものですが、いざ時間がなくなると、少しはそんなことも考えるようになるわけです。

人生は、初期のDQにあったように、宝箱を開けたはいいが、「これ以上もてません、すてますか?」という連続だよね、という、学校の先生のような説教くさいお話でした。

追記:前回のエントリーでハ○ヤのCMの話を書きましたが、まだやっているそうです。また、あれは関東圏だけのローカルCMだったこともすっかり忘れていました。いくつかのあたたかいご指摘をいただきました。日本も広いなぁ、と感じた瞬間です(笑)。

0019/07/24

DE DO DO DO , DE DA DA DA

時系列でみると、Forgotten SagaはReturn to Farlandのなかに内包されている感じです。しかし、Forgotten Sagaで描かれている部分は、Return to Farlandには含まれていません。
だから、Return to Farlandでは理解し合っている状況で組まれているパーティが、Forgotten Sagaではまだバラバラだったりします。ベヒシュタイン率いるギガンテスのことです。雨降って地固まるの理論で、ルーディスが他のメンバーと絆をもつには時間がかかるわけです。

2月11日のグラミー賞で一番話題になったのはポリスの再結成でした。
解散というか空中分解というか当時のメンバー間の確執を知っている人には、え、冗談でしょー、という感じの出来事だったかと思います。
名盤「シンクロニシティ」製作時、あまりにメンバーたちが険悪だったのでプロデューサーの配慮でレコーディングを別々のスタジオで行ったりしたそうで、ライブではスチュワート・コープランドのバスドラに「I KILL STING」と書かれていたりしたそうです。
それが気さくに肩まで組んでしまう勢いのスリーショット写真。もともと仲が悪くなるほど、最初から仲よかったわけじゃないし的な涼しい顔です。
演奏された「ロクサーヌ」も完璧でした。
結成30周年、時の流れにはいろいろありますね。
そもそも噂なんて、ただの噂でしかないのかもしれません。
気にしているのは自分だけ、気にしているのはまわりだけ、よくある話です。

0019/07/13

ヨイフロ

もうすぐ夏休み。
夏休みの思い出といえば、やはり小学生の時に連れていってもらった海水浴です。海が近くにない街に住んでいたので、それこそ一年に一度のビッグイベントでした。

今、自分が大人になってみて思えば、親たちはよくもまぁ、毎日クソ忙しい日々を送りながら、夏休みのレジャーの計画や段取りをしていたものだと思います。親が子供のためにすることではありますが、全くもって頭が下がる思いです。

で、先日。坂本とこんな与太話をしました。
夏休みのレジャーの話をする中で、ある旅館(ホテル?)の話がでました。かつて、CMをバンバン流していた、誰でも知ってる「あの」旅館です。そのCMに、子供が巨大な魚を抱えるというシーンがあります。魚はうにょうにょ動くわけですよ。

この魚は本物か? という議論になりまして、答えはどうでも良いのですが、
そんだけイメージに残っているくらいだから、すげえCMを流していたよね?
でも、最近は見ないよね?
経営苦しいのかね?
これも時代かね?
と、いう淋しい話になってしまいました(笑)。

まぁ、私と同じようなレジャーの思い出を持っている方もたくさんおられることでしょう。
でも、それぞれに思いは異なります。人の数だけ、黄金体験があるものですから。

ということで、次回作に登場するキャラクターたちはどんなドラマを見せてくれるんでしょう?
シナリオはまだすべては上がってきていないのですが、意外なキャラが意外な設定で登場していたりもしておもしろい部分もあります。

あの魚は本物か? という議論がプレイヤーの間でされるくらいの作品にしたいですね(意味不明)。

0019/07/11

君は眠っていたね、君は眠っていたね。

ちょっと前に書いたとおり、クルルのモデルはレッサーパンダでした。その場のノリと楽しさ的な決定で、Return to Farland、Forgotten Saga両方のマスコットとなったわけです。

ところで飼ってみたい動物ナンバー1は、やはり白黒パンダなのですが、ご飯、環境、サイズ、どう考えても現実的ではないので眺めて我慢するようにしています。
いろいろな事情があるのだと思いますが最近の中国のパンダの開放っぷりにナーッイス!!

……興奮したところで本題に戻りますが、風太君が立ったりしたため話題になったレッサーパンダ。
その昔、レッサーパンダのほうが先に発見されてパンダと名づけられたのに、のちに白黒パンダが見つかったためパンダという名前を奪られたという本家パンダです(複雑)。

近隣の市営動物園に3匹もいます。
2匹が縦に並んで(いわゆるドラクエスタイルで)散歩している様がモコモコです。たまに樹に登ったかと思うと、昼寝をしたりしています。
でも基本的にヒマラヤ的気候でないと弱ってしまうらしく、庭つきのクーラー室暮らし。
……こっちも飼えませんね。

0019/06/27

カシオトーン

私が鍵盤楽器と作曲を始めたのは高校生になってからです。家にピアノが置いてあったわけではありません。そっちの道に進んだわけでもありません。でも、どういういきさつだったのかは覚えていないのですが、カシオトーンを買ったんですよ。
当然、譜面は読めません。
好きなあのコから「いっしょにやろうよ!」なんて話を持ちかけられたわけでもありません。
人生は、そうそうゲームや漫画のように展開しませんからね(笑)。

さて、このカシオトーン。
いじったことがある方はご存知かもしれませんが、あれには自動伴奏機能がついておりまして、「ロック」とか「ポップス」などのジャンルを選ぶと、それっぽいフレーズで伴奏が流れます。で、さらに設定を変えると、左指で鍵盤を一つ押さえるだけで、伴奏がそのコード(和音)に変わります。メジャー、マイナー、セブンス、マイナーセブンスの4種類だったかな。

私は「FINAL FANTASY IV」のスコア(楽譜)を買ってきたんですよ。そのスコアを見ながら、そのカシオトーンでコードを「一本指奏法」で押さえていくと、なんと伴奏がゲームで流れていたあの曲っぽい雰囲気になるじゃありませんか!

感動です。
歌謡曲のコード譜なんかも買ってきて、毎日コードを押さえまくっていました。

そんな青春のある日のこと。諏訪部少年は、コードに一定の法則があることに気づきました。このコードの後には、このコードがくる。ここでこのコードが入っていて、あのコードにつながると曲がひと段落する、などなど。
がむしゃらにやっていくうちに、こうやって曲ができていて、こうやって曲を作っていくのだな、ということを学んだのです。

でっかい感動手に入れろ! です。
まるで世界の秘密を知ったかのような気持ちになりました。

その後、私は前述した「FINAL FANTASY IV」のスコアを弾くよりも、そのコード進行を使って「作曲」することが楽しくなってきました。そのあたりが今の源流ということになります。

勉強っていうのは、こういうことですよね。

0019/06/26

時のある間に花を摘め。

Forgotten Sagaのなかで、ジュノはそんなもの枯れるだけじゃないかと言い放ちますが、草花を眺めて暮らす余裕は常に持ちたいものです。ストレス社会にいるとなかなか難しいものですけどね。

梅雨まっしぐら。
この時期の大御所といえば、紫陽花です。モコモコ。
咲き始めから終わりまでで少しずつ色が変化していきますが、土壌のペーハー濃度なんかでも変わるそうです。
そういえば昔、父親が紫陽花の一群のなかで一箇所だけ色が違う花があったときに「この下には死体があるよ、へへへ」と子供騙しをかましてきたことがありました。当時、子どもだったので、ストレートに騙されていたのは言うまでもありませんよ?

ところで紫陽花という漢字。
白居易が別の花につけた漢字を、平安時代の日本の学者が間違って当ててしまったのだそうです。
間違ってるけどそのままでいいや――そういうことって割とありますよね。

0019/06/05

音楽の楽しさをありがとう

羽田健太郎さんが死去したとのことです。
近年は「題名のない音楽会21」の司会を務められ、軽やかにピアノを弾く姿が印象的でした。

ところで、羽田健太郎さんといえば、ファミコン版の『ウィザードリィ』の音楽が(ゲームファンの中では)有名ですね。ウィザードリィといえば、当時、ソフトのパッケージに「このソフトは難しいから、小学校高学年以上の人がやってね!」みたいなニュアンスの注意書きがあることに衝撃を受けました。まぁ、内容はそれ以上に衝撃的で、何度も壁に閉じこめられましたけど(笑)。

また、坂本と氏についての話をしたところ、「タモリの音楽は世界だ!」に出ていたことを思い出しました。
あの番組は私も大好きでして、毎週楽しみに見ていました。特に、音楽当てクイズみたいなコーナーでは、MacとMIDI音源を使った早回しクイズみたいなノリでして、電子音楽に興味を持ったきっかけのひとつでもあります。
たしか、番組の最後にクイズがでて、プレゼントでMacがもらえるということで、必死にはがきを出していた気がします。結局、Macは当たりませんでしたけどね。

そんな風に広く音楽の楽しさを教えてくれた氏ですが、年齢的にはまだまだこれからの活躍が期待される方でした。

謹んでご冥福をお祈りします。

0019/06/03

G!

サイボーグじいちゃんGみたいなノリですが、そういえば製作日誌とか言っていたわりにはあまり製作の話はしていません。
といっても、製作の大部分は諏訪部の作業なので、そのへんはあまり気にせずスルー。
この日誌、G・エクスペリエンス。
おおむね、ゴールドだと思われるでしょうが、実はゲームとかけているわけです。だから、ゲームが関係していればなんでもいいだろう的な打算的な趣旨がそこにはあります。

諏訪部から聞いたところによると、次作の製作状況としては骨格部分に着手しつつも、音楽のメインテーマなどは出来上がっているらしいですよ。
次作でリューネたちも登場するといえば、Forgotten Sagaにも、すこぶるチョイ役で登場していました。登場するのは印象的なシーンなのですが、もしかしたら気づかずスルーだった人もいるかもしれません。いわゆるお遊び的なニュアンスでした。
ですが次作では、もうちょっと大々的に登場します。
映画の続編とかでもよくありますよね、旧作の人物が意外な登場をするパターンや続編自体がわりと意外な設定で始まるパターン。
そんなような感じになるのではないかと思います。

0019/05/28

肉のパイ

創刊号だけ特別価格でおなじみ(?)のアレ。今回はピーターラビットということで、思わず買ってしまいました。イラストのタッチが優しい感じでとても良いです。物語も載っていたのですが、そこでピーターの父親が「肉のパイ」にされた、と母親がさらっと言っているところが、なかなかシュールでしたけど。

しかしまぁ、作者がいなくなってしまっても、作品も、そのキャラクターも愛され続けているということは、なんだか素敵なことだと思います。作品を作るうえで、自分の個性や味を出していくことは大事なんですけど、なんといっても誰かに支持されないことには淋しい気もするのですよ。だから、そういう部分も大事なのかな、と思ってがんばっていきたいですね。

ちなみに。
坂本から聞きましたけど、次回作はリューネも出るそうですよ! ということは、もちろんあのキャラクターも……!?

0019/05/22

言葉はいらない?

先日、樹木の鬱蒼と茂る公園を散策中に、
ピロピロポロポロピー♪
という抑揚のあるメロディが頭上から聞こえ、ん? と仰いでみたところ、そこにおわすはジュウシマツ。
ポロッピピピピロポロピー♪
思いのほか美声。
しばらく見ていたら飛び去ってしまいましたが、思わぬ路上ライブに得した気分です。
なにを言っているのかわからないけれど、なんとなく楽しい気持ちになりました。きっとそのジュウシマツもそんな気分だったに違いないと恣意的に解釈しました。

Fogotten Sagaのなかに、もこもこアイス(このネーミングもう少しなんとかならなかったんでしょうか)というトーン(精霊)が出てきます。そいつは「めぇめぇ」しか話せないのですが、アストリアは言葉ではなくそこに込められた想いを感じることで、主張を受け入れることができます。
気持ちでカバー。
心が通じ合うとき、そこに言葉はないのかもしれませんね。

0019/05/12

テストでも問題をよく読んでから

先日、あるカメラを買ったんですよ。
バーバーと撮りまくって、ワクワクが押しよせながらフィルムを現像に出しました。しかし、現像から上がってきた写真は、すべてピンボケ(笑)。さすがに、全部が全部ピンボケというのはあまりにおかしいので、機器の故障を疑いました。
とりあえず、そのカメラとその説明書を見ていたら、どうもレンズがしっかりとはまっていなかったらしい。

説明書には、「カチッと音がするまでレンズを回して取り付けます」と書いてあった。そういえば、どうもレンズがユルユルな感じだとは思っていたのですけどね。いつもの調子で適当にやっていたら、思わぬ盲点があったわけです。

やはり、説明書はちゃんと読まなければダメだなぁ、と感じた出来事でした。

そんな説明書。もちろん、ゲームにも付いてきます。
それは、どのボタンを押せばどうなる、という説明でしたが、RPGにおいては、「Aボタン=決定」「Bボタン=キャンセル」という暗黙の了解があります。そのため、たいていのRPGは説明書を読まなくても、いきなりゲームを始められます(武器や魔法の効果や、ゲームごとの細かい部分は多々ありますが)。

MEET INVADEのゲームは、「RPGツクール」というツールで作っていますが、ゲーム中の操作はきわめてシンプル。戦闘シーンも凝った自作物ではなく、普通のものであるし、フィールドマップがあって、街があって、ごく普通のRPGと同じです。小難しいことを考えずにとりあえずプレイしてね! というスタイルを目指しています。

そういえば、特に説明はしていなかったのですが、「Return to Farland」では、マップのオブジェクト(壺や壁の物など)を調べることでもアイテムが手にはいることがあります。宝箱以外にもアイテムが手に入るというのは、どうも気づきにくい部分だったかもしれません(Forgotten Sagaには、そういうケースはほとんどありません)。
特によくいただく質問に「ハー・グローブはどこにあるのですか?」というものがありますが、これは時期もあるうえ、壁のオブジェクトを調べることで手にはいるので、ある意味では意地悪な感じだったかもしれませんね。

0019/04/30

永遠の記録。

すでに何度も書いていることですが、Return to FarlandやForgotten Sagaでは名前のない人たちにもなるべく設定を用意しました。人類の歴史のなかには、名前のない人のほうがずっと大勢いるからです。その姿勢は、次作でも貫かれるのではないかと思います。

ところで、MEET INVADEの拠点がある首都圏の片隅は、大河ドラマのおかげか最近少しスポットを浴びたりしています。
そんなわけで先日、とても晴れていたので、旧跡を訪ねてきました。武田氏に縁のある古城跡です。
まるで真夏のような気候と、むっとくる草いきれにちょっと辟易しましたが、そのぶんなぜか落ち着きました。

旧跡で佇んでいると、ずっと昔にもそこに人がいたことや、今そんなところに自分が立っていることを少し不思議に思ったりもします。
たとえば千年もまえに、こんなところに人が大勢いたり、だれかと攻防を繰り広げていたり、また隠れて恋をしたりしていたのかと思うと、歴史が文字や記号じゃない生身のものとして感じられるような瞬間があったりもするわけです。

風が過ぎ去るように刹那の淡い夢です。

0019/04/17

ウサギとカメ

だいぶ間隔が空いてしまいましたが、諏訪部です。
新年度も始まり、そろそろ新しい生活にも慣れてきた頃でしょうか。もう少しすれば、今度は五月病なんていう話も出てきたりするんですかね。ま、暗闇に入ってしまったら、焦らず慌てずが基本です。これは、実際に我々が暗いところに入ってしまってもそうですからね。心の暗闇も、同じようなもんです。

さて、たまには制作中のゲームについてのお話をします。
あまり時間が割けないということもあり、亀のスピードなんですが、毎日一歩は歩くようにしています。歩いていればゴールにたどり着けると信じていますので。
で、次回作。世界観は「Return to Farland」や「Forgotten Saga」を引き継いでいます。つまり、ファーランドが舞台のお話になります。いつの時代のファーランドかはまだ言えないのですが、とにかくそんなわけですので、皆さんよくご存じのキャラクターも登場します。
まだまだ開発状況なんて言えるほど進んでいませんが、首をキリンさんにしてお待ちいただければ幸いです。


余談ですが。
先日、株式会社英知出版社より発売されました「ゲーム業界激震!次世代フリーゲームの殿堂」にて、「Return to Farland」が紹介されました。オールフルカラーで、他にも様々なゲームが紹介されています。詳細はおって報告しますが、よろしかったらご覧になってみてください。

0019/04/02

浅き夢見し。

花より鼻で春を感じる人も多いでしょうか。
学生時代、恐ろしいくらい花粉症で鼻づまりは日本海溝ばりだったのですが、なぜか最近はのどが少しイガイガする程度で、その頃の名残はあまりありません。
花粉症は一度なると、一生治らないと聞いたのですが不思議なものです。
閑話休題。
暖かくなってくると、なんとなく気だるいような空気感に、ちょっぴりセンチになったりもします。
春が新しい季節という感覚は昔からあまりなく、厭世的な人間だったためむしろ、春は少し憂鬱だったという記憶があります。変化を嫌う人間の特徴ですね。
今は日々それなりに忙しいので昔ほど感傷的ではなくなりましたが、それでもふとした瞬間に、春が憂鬱だった頃を思いだし、懐かしいような淋しいような気持ちになることがあります。桜をみるといろいろなことを思いだす――そういえば、そういう俳句がありましたね。
近年は、桜をみていると、人生であと何回この花をみるのだろうと、未来について思いふけったりすることもあります。
桜をまえにすると、人生の岐路に立ったような気分になることがあるのです。
過去も未来も小さなことなのかもしれませんが、切ないとはそういうことを言うのかもしれないとか思ったりします。
桜を見たときの気持ちを言葉にするのはとても難しいことに気づきました。

0019/03/22

さくらと酒とバカ

各地で桜の開花宣言も出され、いよいよ春爛漫といった感じです。
桜といえばお花見。お花見といえば宴会。宴会といえば酒。酒を飲み過ぎて、花に酔っているのか、酒に酔っているのかわからなくなってしまうこの時期。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

咲きほこる桜を見ると、とてもきれいなのですが、それと同時に「いとおかし」感情もわきあがってきます。それを強く意識するようになったのは、大人になってからでしょうか。なぜなのかを考えてみると、すぐに散ってしまうから、という単純な理由からではないとも思うわけです。こういう感情を抱く方がいったいどのくらいいるのか統計を取ったわけではないですけど、少なくとも日本人は、桜のイメージの影に潜むそういった感情を何百年も前から感じていたのではないかと勝手に想像しています。まぁ、ユングの言う「集合的無意識」みたいなもん(?)だと理解しています。

しかし、最近ではそんな「いとおかし」感情を感じても、哀しいと暗い気持ちになるだけではなく、それもまたいいんじゃないかと受け入れるようになってきました。

「ファファファファ。光あるかぎり、闇もまた存在するのだ。ウボァーー!!」

っていうRPGのボスキャラの捨てゼリフじゃないですが、確かに闇があってこその光なわけです。
人間だって、完全無欠・パーフェクト超人のような人がいない(と思うのです)ように、ダメだと思う部分も愛することで、また違う考え方ができる、と。

アントニオ猪木氏の「バカになれ」というわけではないですが、桜の下であえてバカになるのも、人生のスパイスとしては大切な黄金体験になるのかもしれませんね。

0019/03/12

L’Oiseau bleu

トピックスをご覧になっていただければ、Return to Farlandのなかに動物のフンのネタがあったりするのがご理解いただけるのですが、それとはまぁ、関係があるのかないのか、とりあえず今日はフンフンの話です。
そんなに汚くないのでお食事中でもなんとかなると思います。
鳥のフン。
たいした話題ではないこと山の如しですが、最近自家用車に鳥のフンがよくついています。駐車している最中にやられているようなのですが、まさに絨毯爆撃。
鳥畜生の的がそれて(狙って?)、ドアのキーを刺す箇所にかまされていたり(一応、キーレスですが)、パワーウィンドウの縁にこびりつく感じで落とされていたりします。ちなみに、ウィンドウを開けたら、フンが車の内部に巻き込まれました。げふ。
鳥類の思考はわかりませんが(まぁ、人間ですら侭ならないわけですから)、娯楽感覚でやってるのだとしたら、曲者です。そういえば、殻を割るために、わざと自動車の走行路に木の実を落とすカラスを見たことがあります。計算?
人類を俯瞰している……?

ところで、家の軒先に、数年まえから、ツバメが巣をつくるようになりました。
春先になると、キッズが誕生し、ギャースカギャースカ大騒ぎをしています。
でも、やかましいなァ、などと思っていると、知らないうちに飛び去っていたりします。
キッズのいなくなった巣は少しだけ物足りない感じになります。
そして、次の春、ふたたびギャースカギャースカしていると、前年に巣立った輩とは限らないですけど、なんとなく「おかえり」という気持ちになります。
うるさいんですけどね。

0019/03/05

街をつくろう!

今回はマップのお話をば。

RPGのマップというものは、まさに箱庭です。プレイヤーは、木や、建物といったシンボルマークの中を歩き回ります。それらのシンボルマークは、ただの図形でしか過ぎないのですが、受け手がそれに意味付けをして考えているわけですね。大げさな言い方をすると。

では、我々が普段(現実世界の)街を歩いているときはどうでしょう? 何も考えずにただ徘徊しているわけではなく、頭の中にはちゃんと鳥瞰図があるわけです。そうでなければ目的地に到着できません。
人間は、それを共有しようということから「地図(マップ)」を作りました。しかし、地図もまた、ただ絵やシンボルマークが記載してあるだけのものであり、地図の見方を知らなければ意味をなさないわけです。

なんだか小難しいような話になってきましたが、両者とも人間の想像力があってこそ成せる業だねぇ、すごいですねぇ、ということです。そういう意味では、ゲームのなかで街を歩いているのも、現実世界で街を歩いているのも、認識としてはあまり変わらないような気もします。だからこそ、ゲームの世界観を楽しめたり、入り込めたりできるわけですけどね。


私は、マップを作成する時には、一歩引いて見る。全体を見渡すということを特に気をつけています。そして、そのマップに広がる物語も想像します。例えば街だったら、あの角を曲がったら、赤い屋根の家があって、その庭には大きな木がある、という具合です。そこでは、人々が日々の生活を送っています。
普段、我々が現実世界でも何気なくすれ違う人々。他人といえば他人ですが、その一人一人にそれぞれの生活があり、人生があり、そんな人々が集まってできたものが街なわけです。
Return to FarlandやForgotten Sagaの住人たちには皆ドラマがありますが、こういう考えのもとに演出をしていますのです。

マップは、いってみればただの背景でありますが、そこを基本として「生きている街」に仕上げるのは大変です。非常に忍耐の要する作業でありますが、納得するまで作り込みます。何から何まで自分の思い通りにできることなんて、そうそうありませんからね。

0019/03/02

サウンド・オブ・サイレンス

卒業式のシーズンです。卒業してますか。卒業しましたか。
その昔、学校行事などが厭だったため、卒業したらさぞすっきりした気分になるのだろうなと、高校在学中は思っていました。尾崎豊的、支配からの卒業。
ですが、いざ卒業を控えた時期になると、意外と感慨はわかず、むしろ宛のない茫洋とした置いてけぼり感を味わったりしました。卒業後のことなど、それほど考えていなかったからです。
そして結局のところ、トラブルは避けたいタイプでしたし、窓ガラスを割ったり盗んだバイクで走ったわけでもないので、「なんとなく周囲の流れに合わせる」みたいな習性はなかなか治らず、中途半端な心意気のまま進路を歩んでいきました。
社会に出てしばらくした頃、その当時の自分を歯がゆく思った時期がありました。あのときちゃんと考えて、ああしていればよかった――そういうやつです。
でも、最近は人生の無駄に関して寛容になってきました。独力ではどうにもならないこと、本当の意味のしがらみなどを理解しつつあるからかもしれません。
昔の自分のこともまた、やがては卒業していくものですね。

0019/02/27

露伴の気持ち

当ウェブサイトの「ゲーム」コンテンツでも触れましたが、とらのあな様とメロンブックス様にて、『Return to Farland』と『Forgotten Saga』の委託販売が開始されました。通信販売だけではなく、店頭販売も行われますので、近所に店舗がある方はぜひ足を運んでみてください。
もちろんメッセサンオー様でも取り扱っていただいておりますので、こちらも引き続きよろしくお願いします。

こうして委託をしていただけるのも、ユーザーのみなさんの支持があってこそだということを実感しています。しかし、同時に、創作する側として、『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する岸辺 露伴の気持ちがわかるのです。つまり、「そのうち誰も自分の漫画を読んでくれないんじゃないか」という感覚です。……例え話がアホですが。
でも、これは何か表現をしている人は誰しも思うはずなんです(たぶん)。ゲーム制作、特にRPGにおいては、制作期間が長期にわたるため、この思いがさらに強くなります。だから、創作活動には、"形にしたい"という情熱と、"絶対に完成させる"という根性が必要になります。
以前、メッセサンオー様の店舗に行ったときに、そこにはものすごい数の「創作物」があったわけですが、その一つ一つが、作者のそういった情熱から誕生しているのだと、ふと思いました。

そうやってできた「Return to Farland」と「Forgotten Saga」が、何らかの縁でプレイヤーの手に渡り、その作品から何かを感じてくれるなら、制作者としてとてもうれしいことです。

0019/02/20

神様ありがとう、僕に友達をくれて。

はい。
坂本です。
諏訪部にひきつづき風邪に侵されてしまいました。油断大敵です。
先週はバレンタインとか春一番とかネタの宝庫だったのですが、旬が過ぎてしまったのでもう触れないでおきます。
ところで最近は、暖冬らしからぬ寒い日もありますね。

寒い夜なんで、クルルの話をします。
「クルルってなんですか?」「モデルってあるんですか?」「犬ですか?」「猫ですか?」的な質問をReturn to Farland公開当初、よく頂きました。公開当初っていうともう2年半前ですよ。えらいことです。
今現在は、笛吹先生のイラストがあるので、おおよそモデルの検討はつくかと思うのですが、最初は「あらいぐま」にしようと考えていました。ラスカル的な。動物パートナーというと真っ先に浮かんだのがあれだったので、笛吹先生にもそうお願いするつもりだったわけです。ですが、そんな矢先に風太君が立ったりしました。なにはともあれ、レッサーパンダ。色がそのままだとラスカルなんで、色違いでお願いしますとか微妙なお願いをした記憶があります。
毛がもふもふしたレッサーパンダみたいなもの、というのがひとつの答えなわけです。なんていうかノープランですね。

そういえば、動物の毛皮は濡れると発熱するという性質があるそうです。雨に濡れても、うずくまって寒さを乗り越えられるそうです。あら便利、人間にもそんな機能があったらよいのにと羨ましくなって、ふと思いました。
泣いたり、寝たりしたあとに、哀しさや辛さが和らいでいるのは、それに近いかもしれないですね。

0019/02/06

MEETS YMO

キリンラガービールのCMに、YMOが出演しています。3人がそろって登場するのは、いったい何年ぶりでしょうか。
このCM。話を聞いて、キリンのウェブサイトに行って見たんですが……思わず汁が噴出しました。

私は、やはり使用機材に目を奪われました。
まず目につくのは、ドラムの高橋氏の後ろにおわします伝説のシンセ「MOOG IIIc」。置物じゃないですよ。"タンス"なんて呼び名もありますが、コードをバシバシ挿して音作りをするシンセです。
細野氏が弾いているのは、"出っ歯"と呼ばれる(鍵盤がはみ出していることから)ARP Odysseyというシンセ。このCM曲の『RYDEEN』の元のバージョンでも使用されていました。
坂本氏は、「Moog」と「トイピアノ」を弾いていますね。
3人とも、まぁそれなりに年齢を重ねているのですけれど、非常にいい表情ですね。人間の厚みがにじみ出ていました。


YMOといえば電子楽器なんですが、ゲーム音楽の歴史も、電子音楽の歴史と重なる部分があります。ファミコンの時代には、ノイズのような音しか出せませんでしたが、今では携帯ゲーム機でも、かなりクリアな音を出します。
当時のYMOも、機材にはだいぶ苦労した面もあるそうですが、その制約のなかでも、楽曲は高度な音楽理論やシーケンスと手弾きの融合によるもので、本質的な部分がしっかりしていたから、今でも高い評価を受けているわけです。

作曲をするなかで、音数がたくさん使えると、けっこうズル(?)をして、音でごまかしたりしちゃうことがあるんですよ。
いつも気をつけてはいるのですが、どうやってもその音しか使えない、という状況でない時以外は、なかなかシンプルに楽曲やコードだけの勝負から逃げてしまいがちです。

時代は変わるけれど、変わらないもの、変わってはいけないものもある。
いつも気をつけていきたいですね。

0019/01/31

99%の誘惑

はい。
坂本です。
衣食住とは、生活における必要最低限の要素ということではなく、それに気をつかって生きることが大切だという指標なのです――と、Return to Farlandのなかにいる住人がさも偉そうに語っていますが、実際問題、常にそういうところに気を遣うのは難しいものです。
パーフェクトな自己管理などなかなかできません。
そんなわけで、甘いものが好きです。

小さい頃からアイス好き。三度の飯より好きな時期もありました。
大人になってからハーゲンダッツみたいな高級品に衝撃を受けたりもしましたが、ピノやパピコといったお馴染みなものは昔からよく頂いています。最近好きだったのは旨チョコミルクと練乳ミルクでしたが、あまり好きではなかった雪見だいふくにチョコ味が出てそれが意外と美味しかったり、同じくあまり好きではなかったガリガリ君にリッチミルクなる種類が出て思いのほかしっくりきたりで、なにはともあれ甘いもの万歳。

食べものといえば、先日、カカオが身体によろしいです、という話を聞き、チョコレートをお求めになりました。カカオ割合が高いほうがよりお身体にはよろしいですよ、という甘言にのっかり、せっかくなんでカカオマス全開でいこうと思いたち、99%カカオ。

食べた瞬間に鼻水が噴きだしました。

0019/01/24

システム思いつきません

風邪をひきやすい時期ですが、いかがお過ごしですか。私は体調を崩しました。半日寝て復活しましたけど。
こういう時には、ゲームによく登場する回復薬が欲しくなったものでした(さすがに今はそんなこと思っている余裕はありませんけど)。

RPGに登場する主人公達は、病気になることはありません。アイテムとして登場する回復薬も、戦闘中に受けたダメージを回復するためのもので、いわばゲームを成立させるためのシステム的なものにすぎません。なにを当然のことを言っているんだという感じですが、ゲーム中に現実世界の事象をリアルに取りいれると、往々にしてつまらなくなったり、とっつきにくくなったりするものだなぁ、というお話です。

昔、『ハイドライド』っていうアクションRPGがありましたね。個人的には好きなシリーズなんですけど、この『ハイドライド3』においては、アイテムの重さや食事、睡眠の概念など、とにかく現実世界に忠実なシステムが採用されていました。具体的には、食事を摂らないと「おなかがすいた」という表示とともに体力が減り、夜になると「ネムイ…」という表示とともに攻撃力が落ちてしまいます。なんともリアルというか、個性的なシステムですね。
私はこれのファミコン版を発売日に買ったのですが、プレイを始めた瞬間「な、なんじゃこりゃあ!」と思いました。某ジーパン刑事ではありません。当時はゲームの情報が今ほど手に入れやすくなかったので、実際にゲームを買ってみないとわからない部分が大きかったのです。
ゲームはちゃんとクリアしましたよ。音楽もカッコ良くて好きでしたし、世界観も好きでしたし。

ゲームにでてくる面白いアイデアやシステムも、結局はリアル(現実世界)からヒントを得るわけですが、リアルをそのままゲームに取りいれても面白くならない場合が多いと思います。
Forgotten Sagaの制作初期には、なにかシステムを入れようかとそれこそ真剣に議論した時期がありました。ルゥに普通に装備品をつけるのではなく、各地に落ちているパーツを付けて、力重視や魔力重視かを自分で作れる「ルゥ・カスタマイズ・システム」を入れようかと半分冗談、半分本気で考えていたくらいです。結局、 Forgotten Sagaにおいてはシンプルに、ひたすらシンプルさを追求するコンセプトに落ち着きましたけど。
今後の展開としても、もともとシステム面で評価されるようなものを目指しているわけではないので、RPGということもありますし、ゲームの世界観を重視したものになっていくと思います。

0019/01/17

And feel in the night Just a nearness of you

はい。
坂本です。
年始早々になんですが、マイケル・ブレッカー氏の訃報を知りました。

まだあまりフュージョンなど知らなかった頃、兄が聞いていたブレッカー・ブラザーズの「へヴィ・メタル・ビバップ」で彼の存在を知りました。フルフェイスの意味不明なジャケット同様、凄まじいパワーでした。
その後、ソロになってもやっぱり卓越した存在で、個人的に「ニアネス・オブ・ユー」はとても素晴らしいバラードアルバムだったと思います。今でも大好きです。
もう新しい音が聴けないのかと思うと、ひどく残念です。

57歳。血液の病。
うーん。生きて死ぬに早いも遅いもないのでしょうが、やっぱり早いと感じずにはいられない出来事です。こちらが一方的に作品を知っているだけなのに、青い空の下に取り残されてしまったような、なんとなく物悲しい気持ちを味わってしまいました。

今夜はそのジェントルなテナーに耳を傾けながら寝ることにします。

0019/01/15

打て!

今、キャラクターの絵をチクチクと作っています。
作るといっても、私はドットを打てませんので、作業はドット絵の修正作業ということになります。これがまた苦行で忍耐のいる作業なんですけど、わりと重要な部分です。

まず、シナリオが私にくるわけです。その中には様々なキャラクターが登場するわけですが、シナリオにある坂本からのキャラクターの指示は、そんなに具体的なものではありません。シナリオを読んで、私が抱いたイメージで、ドット絵のキャラクターを作ります。そして、そこからイメージイラストにしてもらいます。

共同作業をする場合、意思の伝達というものの難しさを常に感じます。例えば文字で「ここで鳥が登場!」とかなっていても、その「鳥」のイメージは、人によって全く異なっていますからね。
Return to Farlandに登場したココア。開発初期に私が用意していたドット絵は、等身が高く、緑色の髪をしたキャラクターでした。ナユタまでつくったところで、坂本から「なんか、この絵じゃ少女っていうより、ドムの愛人みてーじゃね?」と言われ、「そうだな」ということで急遽差し替えられたエピソードもあります(笑)。まぁ、指示通りに作業を行うことも大事ですが、そういう偶発的な結果も、制作には大事だとは思います。

さて、ドット絵といえば、Return to FarlandとForgotten Saga。実はマップの建物についている扉のグラフィックの蝶番が微妙に違います。ノブの位置に注目ですね。よかったら見比べてみてください。
こういうお遊びを入れながら、苦行すら楽しむ余裕を持つこともまた、制作には大事です……なんてさらっと言いたいもんですね(笑)。

0019/01/09

永き世の遠の眠りの皆目覚め。

はい。
坂本です。
年が明けましたね。明けないほうがレアだと思いますけど。

実は近年まで、31日の夜に見る夢を初夢だと思っていました。
けっこう長いあいだ勘違いをしていたわけです。そういうことってわりと多いですよね。そんなことも知らねー、今までなにをやっていたのだ、と落ち込む瞬間ですよ。

さて、今年の初夢は、見知らぬ部屋に見知らぬ顔の親戚ばかりが集まっていて、だれかが「おい、食べるものがないぞ?」と言い放ったところで、なぜか見知らぬ部屋が見知らぬ荒野になり、空を見知らぬ鳥(故手塚治虫氏の火の鳥みたいなやつでした)が群れをなして飛んでいく様を見ながら「あれは、ごぼうの味がするぞ!」「追いかけろ!」みたいになって、みんなで追いかけていくという夢でした。夢でよかったと心底思います。
夢と希望の物語ならぬ、夢でごぼうの物語です。
……夢の内容は創作じゃないですよ。いや、ほんとに。

0019/01/01

諏訪部ワールドもよろしくお願いします!?

諏訪部です。
あけましておめでとうございます。
今年も、皆さまにとってもよい年になるといいですね。

昨年のMEET INVADEについては、新春ことづてにて書いてある通り、Forgotten Sagaの完成が最も大きな出来事であります。そして、店頭販売の開始もまた、大きかったと思います。
皆さんもご承知の通り、現在店頭に置いていただいているMEET INVADE製品は、「ゲーム+サントラ」という形になっています。CDという媒体で配布することに意味を持たせたいという思いもあります。
このCD。当たり前ですけど、普通のCDプレーヤーで再生すると、音楽CDとしても楽しめます(余談ですが、CD-TEXT対応のプレーヤーで再生していただくと、それぞれの曲の英語タイトルが表示されたり)。
ゲームの中で流れている曲は、それなりに制約を設けて制作、再生されていますけど、このCDでは、音楽的な部分を表現しています。サントラというか、インストゥルメンタルの要素が強い音楽CDですけど、諏訪部ワールド(笑)を堪能していただければ光栄です。

次回は、ストーリー性のある音楽なんかも多く入れていきたいですね。
Return to Farlandの「ドラマティック・ノベライズ・ファンタジー」のように、ノベライズ的な部分がわりと多そうなので。